ネズミがかじった服

仏教説話大系5P17

1.

昔、マガダ国のラージャガハに身分の高いバラモン階級の男の家があった。たいへん裕福で、召し使いもたくさんいて、ぜいたくな暮らしをしていた。この家の主人は迷信深く、吉凶を衣服によって占った。
ある日のことだった。主人は髪を洗ってさっぱりしたところで、しまっておいた真新しい衣服を着ようとした。そこで、召し使いにその衣服を出してくるよう言いつけた。召し使いは言われたとおり、衣服のしまってある箱を開けた。ところがその衣服は、ネズミにかじられて着ることができないほど傷んでいた。
召し使いはすぐに主人に報告した。
「ご主人さまのおっしゃった服は、ネズミがかじってひどく傷んでおります。お召しになるのは無理かと存じます」
「すぐ、それをここへ持ってこい」
衣服によって吉凶を占う主人は、それがネズミによってどのようにかじられているのか、心配になった。
「吉であればよいが。凶であれば、これは大変なことだ。」
召し使いは、ネズミにかじられた衣服を恭しくささげ持ってきた。
「そこへ置け」
主人はそう言って、ネズミにかじられた衣服をじっとながめた。
「うーん」
主人は腕を組み、ネズミのかじった部分をいろいろな角度からながめた。ながめながら、主人の顔はしだいにこわばっていった。
「これは大変だ。凶と出たぞ。これをこのまま家の中に置いておけば、必ずこの家に災難がふりかかってくるであろう。これは、この家にとって誠に不吉なものだし、言ってみれば、災いの神がここにいるようなものだ。これに触れる者はすべて、必ず災難に遭うだろう」
みんなは、主人の言葉に恐れおののいた。
「これをひとときもこの家に置いておくことはできない。すぐに捨てよう。しかし、その捨て場所だが……」
主人はしばらく考えた。
どこへ捨てたところで、その捨て場所の近くの人はたいへんな災難に遭うだろう。それならばだれも近づかない墓場にこれを捨てよう。墓場ならそばに家はないし、むやみにだれも近づかないだろうから、災難も起こらないですむ。
そう思ったまではよかったが、
ところで、これをだれに捨てに行かせるか……。
主人はまた頭を抱え込んだ。この不吉な衣服を捨てに行かせるのに、だれかれなしにというわけにはいかないのだ。というのも、その服に触る者は必ず災難に遭うと信じていたからだ。
「召し使いに捨てに行かせてもいいのだが、もし途中で欲を起こして、それを自分のものにしてしまおうと考え、災難に遭うことになったら大変だ。この家にまで災難が及ぶ。となれば、適当な者は息子しかいない」
主人は一人そうつぶやくと、息子を呼びつけた。主人は息子に詳しくいきさつを話して頼んだ。
「そこでだ、お前もこれに手を触れてはいけないから、杖の先にでも引っかけて、墓場へ捨ててきてはくれまいか」
「捨てた後、頭のてっぺんから足の先まできれいに体を洗い、そして戻ってくるのだ。体にくっついている汚れを、きれいに洗い流してくるんだぞ」
主人は息子に何度も言い聞かせた。息子は言われたとおりに、衣服を杖の先に引っかけて墓場へ行った。

2.

するとそこに、一人の修行者がじっと立っていた。息子はその修行者のことは別に気にもかけず、杖の先に引っかけていた衣服をぽいと捨てた。
それを見ていた修行者は、息子に尋ねた。
「お若い方、あなたはそれをどうするのですか」
「ご覧のとおり、ここへ捨てるのです」
息子は修行者の顔をながめて答えた。
「どうして」
「どうしてって、これはネズミのかじった服です。これに触るとひどい災難がふりかかってくるので、わざわざここへ捨てにきたのです」
「そうですか。余計なことを聞いてすみません。あなたの思いどおりに、どうぞ捨てなさい」
「ああ、あなたに言われなくても捨てますとも」
息子は少しむっとした様子で、捨てた衣服を足でぽいとけった。
「捨てなさったか」
「捨てましたとも」
「そうですか。それなら、これはもうあなたのものではないということですね」
「捨てたのですから当たり前のことです」
「それならこれを拾わせていただこう。これはまだまだ使えるのに、もったいないことだ」
「えっ、これを拾って使う。それはやめたほうがいいですよ。災難のもとを拾うようなものなのですから」
しかし、修行者はにっこり笑って衣服を拾い上げた。
「ありがとう」
修行者はそう言い残してすたすたと去っていった。このことを息子から聞いた主人は、慌てて尋ねた。
「その修行者は、どちらへ帰られた」
「ラージャガハの中に住んでいらっしゃる方だと思います」
「その修行者はきっと災難に遭う。そうなれば我々も非難されることになるだろう。別の服を施して、あの服を捨てさせなければ……」
主人はすぐに新しい衣服を用意させると、それを持って修行者の所へ駆けつけた。
「もし、先程私の息子が捨てた服を拾われたというのは本当ですか」
主人は息せき切って尋ねた。
「本当ですとも」
「本当だとおっしゃるなら、すぐそれをお捨てください。あれは不吉なもので、あれに触ると必ず災難に遭うと、私の占いに出ております。あなたが災難にお遭いになるだけでなく、あなたにかかわるすべての人たちに災難がふりかかるのです」
修行者はその言葉を静かに聞いていたが、主人が話し終わると、諭すように言った。
「我々は、そのようなことにとらわれないのだよ。正しい教えを聞き、その教えに従っている者に吉凶など関係のないことだ。そのようなものにとらわれていると、本当に大切なものを見失ってしまい、迷いのやみの中へ、どんどん落ち込んでいくことになる。真理の光に照らされて迷いのやみを打ち破ることこそ、本当に大切なことだと気づかなければいけない」
そしてこのバラモンのために、うたを唱えた。

人相手相夢占い
種々の迷信はびこるが
迷言を超え苦しみの
ばんの(注4)
もとなる迷い頃悩を
断つ努力こそ根本事
目覚めよ真の問題に

主人は、修行者のその言葉に胸を貫かれたように感じた。
「大切なことを見失ってしまう……、真の問題……」
主人は今までのなにかが、心の中で崩れていくような気がした。
「今、その大切なものに出会わねば、取り返しがつかなくなる。」
そう思うと、もう失もたてもたまらず、修行者の前にひれ伏した。
「真実の教えを、どうぞわたしにも聞かせてください」
主人はそう叫んでいた。

ジャータカ八七

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