ネズミがかじった服

服の占いをする男

昔、マガダ国のラージャガハに身分の高いバラモン階級の男の家があった。
たいへん裕福で、召し使いもたくさんいて、ぜいたくな暮らしをしていた。

この家の主人は迷信深く、吉凶を衣服によって占った。
ある日のことだった。主人は髪を洗ってさっぱりしたところで、しまっておいた真新しい衣服を着ようとした。
そこで、召し使いにその衣服を出してくるよう言いつけた。
召し使いは言われたとおり、衣服のしまってある箱を開けた。
ところがその衣服は、ネズミにかじられて着ることができないほど傷んでいた。

召し使いはすぐに主人に報告した。

ご主人さまのおっしゃった服は、ネズミがかじってひどく傷んでおります。お召しになるのは無理かと存じます。

すぐ、それをここへ持ってこい。

衣服によって吉凶を占う主人は、それがネズミによってどのようにかじられているのか、心配になった。

吉であればよいが。凶であれば、これは大変なことだ。

召し使いは、ネズミにかじられた衣服を恭しくささげ持ってきた。

そこへ置け

主人はそう言って、ネズミにかじられた衣服をじっとながめた。

うーん、、、、

主人は腕を組み、ネズミのかじった部分をいろいろな角度からながめた。ながめながら、主人の顔はしだいにこわばっていった。

これは大変だ。凶と出たぞ。
これをこのまま家の中に置いておけば、必ずこの家に災難がふりかかってくるであろう。
これは、この家にとって誠に不吉なものだし、言ってみれば、災いの神がここにいるようなものだ。
これに触れる者はすべて、必ず災難に遭うだろう。

みんなは、主人の言葉に恐れおののいた。

これをひとときもこの家に置いておくことはできない。
すぐに捨てよう。
しかし、その捨て場所だが……

主人はしばらく考えた。

どこへ捨てたところで、その捨て場所の近くの人はたいへんな災難に遭うだろう。それならばだれも近づかない墓場にこれを捨てよう。墓場ならそばに家はないし、むやみにだれも近づかないだろうから、災難も起こらないですむ。

そう思ったまではよかったが、

ところで、これをだれに捨てに行かせるか……。

主人はまた頭を抱え込んだ。
この不吉な衣服を捨てに行かせるのに、だれかれなしにというわけにはいかないのだ。
というのも、その服に触る者は必ず災難に遭うと信じていたからだ。

召し使いに捨てに行かせてもいいのだが、もし途中で欲を起こして、それを自分のものにしてしまおうと考え、災難に遭うことになったら大変だ。
この家にまで災難が及ぶ。
となれば、適当な者は息子しかいない。

主人は一人そうつぶやくと、息子を呼びつけた。主人は息子に詳しくいきさつを話して頼んだ。

そこでだ、お前もこれに手を触れてはいけないから、杖の先にでも引っかけて、墓場へ捨ててきてはくれまいか

捨てた後、頭のてっぺんから足の先まできれいに体を洗い、そして戻ってくるのだ。体にくっついている汚れを、きれいに洗い流してくるんだぞ

主人は息子に何度も言い聞かせた。息子は言われたとおりに、衣服を杖の先に引っかけて墓場へ行った。

息子と修行者

するとそこに、一人の修行者がじっと立っていた。
息子はその修行者のことは別に気にもかけず、杖の先に引っかけていた衣服をぽいと捨てた。
それを見ていた修行者は、息子に尋ねた。

お若い方、あなたはそれをどうするのですか。

ご覧のとおり、ここへ捨てるのです。

息子は修行者の顔をながめて答えた。

どうして。

どうしてって、これはネズミのかじった服です。
これに触るとひどい災難がふりかかってくるので、わざわざここへ捨てにきたのです。

そうですか。余計なことを聞いてすみません。
あなたの思いどおりに、どうぞ捨てなさい。

ああ、あなたに言われなくても捨てますとも。

息子は少しむっとした様子で、捨てた衣服を足でぽいとけった。

捨てなさったか。

捨てましたとも。

そうですか。
それなら、これはもうあなたのものではないということですね。

捨てたのですから当たり前のことです。

それならこれを拾わせていただこう。
これはまだまだ使えるのに、もったいないことだ。

えっ、これを拾って使う。
それはやめたほうがいいですよ。
災難のもとを拾うようなものなのですから。

しかし、修行者はにっこり笑って衣服を拾い上げた。

ありがとう。

修行者はそう言い残してすたすたと去っていった。

真の問題に目覚める

このことを息子から聞いた主人は、慌てて尋ねた。

その修行者は、どちらへ帰られた。

ラージャガハの中に住んでいらっしゃる方だと思います

その修行者はきっと災難に遭う。
そうなれば我々も非難されることになるだろう。
別の服を施して、あの服を捨てさせなければ……

主人はすぐに新しい衣服を用意させると、それを持って修行者の所へ駆けつけた。

もし、先程私の息子が捨てた服を拾われたというのは本当ですか。

主人は息せき切って尋ねた。

本当ですとも。

本当だとおっしゃるなら、すぐそれをお捨てください。
あれは不吉なもので、あれに触ると必ず災難に遭うと、私の占いに出ております。
あなたが災難にお遭いになるだけでなく、あなたにかかわるすべての人たちに災難がふりかかるのです。

修行者はその言葉を静かに聞いていたが、主人が話し終わると、諭すように言った。

我々は、そのようなことにとらわれないのだよ。
正しい教えを聞き、その教えに従っている者に吉凶など関係のないことだ。
そのようなものにとらわれていると、本当に大切なものを見失ってしまい、迷いのやみの中へ、どんどん落ち込んでいくことになる。
真理の光に照らされて迷いのやみを打ち破ることこそ、本当に大切なことだと気づかなければいけない。

そしてこのバラモンのために、うたを唱えた。

人相・手相 夢占い
種々の迷信 はびこるが
迷言を超え 苦しみの
もとなる迷い 煩悩を
断つ努力こそ 根本事
目覚めよ真の 問題に

主人は、修行者のその言葉に胸を貫かれたように感じた。

大切なことを見失ってしまう……、真の問題……

主人は今までのなにかが、心の中で崩れていくような気がした。

今、その大切なものに出会わねば、取り返しがつかなくなる。

そう思うと、もう失もたてもたまらず、修行者の前にひれ伏した。

真実の教えを、どうぞわたしにも聞かせてください。

主人はそう叫んでいた。

ジャータカ87

『仏教説話大系』第5巻
「ネズミがかじった服」より
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