シカ王ナンディヤ

昔、コーサラ国のサーケータの都に、たいへんシカ狩りの好きな王さまが国を治めていました。
農村の人々にも畑仕事すら禁止して、辺り一帯をすべてシカ狩りに使っていました。
家来も毎日そのお供をしなければいけません。人々は不安になっていました。

困ったものだ

人々は集まって相談しました。

牧場の牛のように、シカを一つの囲いの中に集めてしまうのはどうだろう

一人言い出しました。

なかなかいい考えだ

まずは森を囲む門と壁を造って、その中にシカを追い込もうじゃないか

そしたら門を閉めてしまい、
王さまは好きな時に、好きなだけシカ狩りをすればいい

そうすれば私たちは自分の仕事ができるというものだ

そうだそうだ!とみんなはこの仕事に取り掛かりました。


この頃、森にはナンディヤという優れたシカの王がいました。賢く堂々としていて、たいへん親孝行でした。

ある日、ナンディヤが父母とともに小さなやぶ陰で休んでいると、村人たちのシカを追い立てる声がこちらに近づいてきました。のぞき見ると、手に矛や盾などの武器を持っているではないですか。

ナンディヤは父母をを驚かさないように、小さな声で言いました。

お父さん、お母さん、もうすぐ村人たちがここにやってきます。
そうすればたちまちに私たちは見つけられてしまいます。
助かる方法は一つしかありません。
今わたしに大切なのは、わたしの命よりあなたたちの命です。
わたしは彼らが近づいてきたら、ここから飛び出します。
みんなは私に気を取られて追いかけるでしょう。
そうすればあなたたちの所までは探しにこないと思います。
どうか気をつけてじっとしていてください。

ナンディヤは言い終わると一声高く鳴いて、やぶから走り出ていきました。
ナンディヤの思ったとおり、村人たちはナンディヤを追って走っていきました。
他のシカと一緒に、ナンディヤは門の中に追い込まれ、門は閉められてしまいました。


それからというもの、王は毎日シカ狩りをしました。
シカたちは、ただ震えながら自分の順番を待つしかありません。
みんな食欲をなくし、恐怖の中で毎日を過ごしていました。

ナンディヤだけは落ち着いて池の水を飲み、牧草を食べて堂々と暮らしていました。
彼の順番はなかなか来ず、月日が過ぎていきました。

ナンディヤの両親は、息子のことを心配し落ち着かない日々を過ごしていました。

あの子は象ほどの怪力なのだから、
すぐにわたしたちの所に帰ってこられるはずなのに

母の言葉に父もうなずきます。

あの子は強い足を持っている。
壁など一飛びで越せそうなものだ。
そうだ、あの子の所にだれかに使いにいってもらおうではないか

ナンディヤの両親は、道で出会った一人の人間の男に尋ねました。

あなたはこれから、どちらへおいでですか

私は都にいくのだ

それはよかった。
どうか都に着かれましたら、わたしたちの息子ナンディヤと呼ばれているシカにわたしたちの気持ちをつたえていただきたいのです

いいとも、伝言をいってごらん

ありがとうございます。
わたしたちはご覧のように年老いています。
愛する息子の顔が見たいし、そばにいてほしい。
どうが自分の強い脚で壁を飛び越え、
わたしたちの所へ帰ってきてくれることを願っていると、
そう伝えてください


男は快く承諾してサーケータの都に向かいました。都に着くと、早速森でナンディヤを探します。

ナンディヤ、ナンディヤ、お前はどこにいるのだ

すると大きくてりっぱなシカが男のすぐそばに走ってきました。

わたしがナンディヤです。なんのご用でしょうか

男は優しくナンディヤに言いました。

ナンディヤ、お前の両親がとても心配しているよ。
お前は象にも負けない力があるし、足も強い。
どうして壁を飛び越えて両親に会いにいってあげないのだ。
あんなにお前の顔を見たがっているのに

わたしは飛び越えたければいつでも壁を飛び越えられます。
けれどもそれでは、食べ物と飲み物をくださっている王に恩が返せません。
それにここにいる大勢のシカたちとも長くいっしょに暮らしました。
わたし一人逃げて帰るわけにはいかないのです。
私は王や仲間のシカに、なすべきことをなしてから帰ります。

ナンディヤはそう言って、うたを唱えるのでした。

青い草々 飲み水も
すべては王の くださる物
どうして黙って 立ち去れよう
王の射る矢を 身をもって
わたしは笑って 受けましょう
それで許して くれるなら
再び母に 会えるでしょう

男は到底ナンディヤの心を変えられないのを悟り、帰っていきました。


いよいよナンディヤの順番がやってきました。王や大勢の家来に見つめられながら、ナンディヤは片すみにじっと立っていました。

ほかのシカのように死を恐れ、悲しい声をあげて逃げ回ったりしなかったナンディヤ。
ゆったりと立ち、彼はまるでなにかを教え諭しているような威厳に満ちていました。
王はどうしても矢を射ることができませんでした。ナンディヤの偉大な風格に圧倒されてしまったのです。

王さまどうなさいました
早く矢をお放ちなさい

シカ王ナンディヤガ凛とした声で言いました。

シカの王よ、どうしてもわたしにはそれができないのだ

王さま、いつも正しい道を歩み、気高い心を持つものの力がお分かりになりましたか

シカは厳かに言いました。王は心を強く打たれ、そこへ弓矢を捨ててしまいました。

シカの王よ、わたしを許しておくれ。
命のないこんな一本の矢だって、お前の徳の高さを知っていて弓から離れようとしなかった。
それなのに、心というものを持っているわたしが、お前の気高さを感じる力がなかったのだ。
わたしは恥ずかしい。
お前を殺すことなどわたしにはできない。

王はナンディヤの命を助けました。また、ほかのシカたちもすべて助けると誓いました。

そればかりではありません。心を洗われた王は、この森に住む全ての獣、空の鳥、池の魚を守ってやろうと決めたのでした。

ナンディヤは、王がいつまでも正しく国を治めるようにと願い、次のようなうたを王に与えて都を去っていきました。
もちろん愛する父母に会いにいったのです。

施しの 心を保ち戒めを
守り通せよ 大王よ

欲望を 捨てて正義と優しさと
常に努力を 絶やすまじ
ほかを害せず 怒りも捨てよ

耐える心と 真の目を
もって治国に 励むべし
これこそ王の 十法ぞ

そのような 行い保ち努めれば
恵は王に 満ちあふる

ジャータカ385

(『仏教説話大系』第4巻「シカ王ナンディヤ」より)

※コーサラ国:古代インドの16大国の一つ。現在のゴーグラ河の流域オウドゥ地方にあたる。
シュラーバスティー(舎衛城)とサーケータ(沙祇多城)の2つの都がある。

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